「親子英語」を実践していくと、様々な「危機」に遭遇します。「危機」を乗り越えるポイントは、その時々の状況に合わせて「英語を使う環境を作ること」です。
「英語を使う環境を作る」こと
危機その1 「英語」で話せる相手がいない
6ヶ月の時から、コロ助はサスケ(息子)に英語で語りかけをするようにしました。そして、1歳を過ぎると、サスケは英語を話し始めました。
しかし、コロ助以外に、「英語」で話せる相手がサスケにはいなかったのです。サスケは日本語よりも英語の方が優位でしたので、これでは、サスケの「社会性」が育ちません。
サスケのことを理解できる仲間、「英語で意思疎通のできる仲間を早急に作らなければならない」と強く思いました。
対応策① 日本語禁止のサークル結成(現在も存続)
・サスケ1歳7か月
「日本語禁止」の育児サークルを立ち上げました。サスケが1歳7か月の時です(現在もサークルはありますが、忙しくて開催できずにおります)。
サークルには、ニュージーランドやトンガ出身の親子、そして英語育児に関心のある親子が参加してくれました。外国の親子は国へ帰ってしまったので、現在は、数組の日本人親子がメンバーです。
サークルでは、サスケはのびのび英語でコミュニケーションを取ることができ、とても嬉しそうでした。
対応策② 英語関係の教室、イベントに通う
実際に教室に通ったのは、MLSの親子クラスとMTの親子クラスです。どちらも1年間通いました。
MLSでは、親子でネイティブの先生と30分活動し、楽しい時間を過ごしました。
MTは日本人の先生なので英語で会話はしませんでしたが、英語の歌やリズムに触れられることができました。
英語関係のイベントとしては、10か月の時から、DWEに取り組んでいましたので、WFのイベントには、月に1回くらいは参加していました。
対応策③ 英語保育園に通う(週2,3回)
・サスケ2歳
週1回の一時保育
サークルや英語関係の教室、イベントだけでは、「英語を使う環境」が不十分だと考えて、家から通える範囲ので「英語の保育園」を探しました。
電車を乗り継ぎ、家から45分の距離にある「英語の保育園」を見つけて、一時保育として週に1回通わせることにしました。
決め手は、英語のカリキュラムがしっかりとしていたためです。その保育園は、Grape Seedというカリキュラムを導入していました。
コロ助の同伴として週2,3回の一時保育
週に1回通わせ始めるとすぐに、園長から「コロ助、一緒に働きませんか?」というお誘いを受けました。コロ助は、以前プリスクールで働いていた経験があります。
また、その時も、別の英語保育園で保育士として働いていましたので、「サスケの様子が分かるのは嬉しい」と考えて、サスケの通う英語保育園で働き始めることにしました。
コロ助が働く日にサスケを保育園に同伴し、サスケは、別のクラスで過ごします。週1回から、週2,3回へと保育園に連れて行く回数が増えました。
親子英語のメリット 自然と英語を使える
英語保育園に通う大半は、日本人の子ども達です。今まで家庭で日本語で育てられてきたので、英語保育園に入ってから、英語を使えるようになるまでには、しばらく時間がかかっていました。
「日本語のベースができてから英語を学ぶ」のと、「赤ちゃんの時から母親の語りかけで英語を学ぶ」のでは、英語を話すための、「子どもの苦労する度合いが全く違う」と感じました。
これは、「親子英語」の利点だと思います。サスケは全く苦労することなく、自然と英語を使って話していました。
保育園には、「日本語禁止」というルールがありました。サスケはとても流暢に英語を話しておりましたので、ネイティブの先生も感心していました。サスケの英語が最も順調だったのはこの時です。
危機その2 日本の幼稚園へ入園し、母語が日本語になる
・サスケ3歳
義母との約束もあり、サスケが3歳なる年には、日本の幼稚園へ入園させるつもりでした。というのも、サスケの日本語が同年代のお子さんと比べて遅れていたためです。
同じ容量のところへ、「日本語」と「英語」が入ってくるのですから、「英語」が育てば、「日本語」が遅れるのはとても自然なことだと思います。
しかし、サスケの日本語は、「英語」と「日本語」が混ざり、チャンポンの状態。日本語のアクセントがおかしいことも多くありました。そのため、日本の幼稚園への入園させる必要があると、コロ助も強く感じ、入園させることにしました。
- 先生の質が高かった
- 個性を受け入れてくれるところ(サスケの変な日本語も笑わない)
- モンテッソーリ教育に興味があった
入学した年の夏休みが開けると、サスケの母語は「日本語」になっていました。「友達」が「日本語」を話す友達へと変わったからです。「友達」の存在の大きさを感じました。
幼稚園がある時は、お友達と日本語で話すので、日本語スイッチがオンになります。休みが来ると、母と英語を使う時間が長くなり、語スイッチがONになります。
幼稚園を卒園した3月までそのサイクルを繰り返していました。年中くらいになると、人の目を意識して、お友達の前で「英語を使うと怒る時期」もありました。
対応策① サマースクールやオンライン英会話を利用する
・サスケ4歳
- LCAサマースクール参加(4日間)
- アイアイキッズサマースクール参加(3日間)
- 時々オンライン英会話を受ける(20回程度)
英語を忘れないために、オンライン英会話やサマースクールに長期休みや時間のある時に参加させました。
危機その3 オンライン英会話やサマースクールを嫌がる
・サスケ5歳
サスケが、サマースクールはつまらないから嫌と言い、行くのを嫌がります。そのため、申し込むことができなくなりました。
オンライン英会話は、幼いサスケを、じっとパソコンの前に座らせておくのは一苦労。幼すぎて先生に対しても申し訳なく感じてしまい、申し込むのがおっくうになりました。
対応策① 海外旅行
・サスケ5歳 グアムへ旅行(4日間 )
1年に1回くらいは海外へ連れ出すことにしました。大型連休中は高いので、祖母、サスケとコロ助の3人で、平日に行きました。
グアムでは、ショッピングモール内の無料の遊び場や有料の遊び場で、サスケが現地の子と英語で遊ぶ姿が見られました。グアムの方々は日本人のことをよく知っておられるので、「英語を話す親子は珍しい!」と言われて、逆にコロ助が驚きました。
・サスケ6歳 シンガポールへ旅行(4日間)
シンガポールの公用語は英語ですが、シンガポールの人々がおしゃべりをする時は、大概母語です。そのため、英語よりも、中国語、マレー語、ヒンドゥー語を多く耳にしました。
サスケが英語を使ってやりとりしていたのは、動物園や公園の水遊びができる場所で現地の係員のお兄さんと。
また、帰る時の空港の子どもの遊び場で、ニュージーランドのお友達と英語を使って一緒に遊んでいました。夜の10時に(苦笑)。
6か月から実践していた「親子英語」。幼い時から始めることの利点は、それが「ルール」となること。
サスケが日本語でコロ助に話しかけても、コロ助は、返事をしないでしらんぷり。すると、英語に切り替えて話てくれました。コロ助とは「英語で話す」というルールが定着していたからです。
上記のように何とか「環境」を用意しながら、コロ助とは「英語で話す」というルールを、幼稚園卒園までは守ることができていました。
しかし、小学校入学すると、話は違っていたのです。
「小学1年生の壁」と「対応策」に続きます。