モンテッソーリ教育との「出会い」
コロ助は恥ずかしながらも、「モンテッソーリ教育」という名前は知っていましたが、実際にどういう教育なのかは知りませんでした。
ある夏の日のこと、友人と一緒にお子さんを、モンテッソーリ教育を主体とする保育園に迎えに行きました。
そこで、「モンテッソーリ教育」を初めて実際に目にし、「モンテッソーリ教育」に興味を持つようになりました。
子どもの家に入園を決めた「理由」
- 個性を受け入れてくれる環境
- 先生の質が高い
モンテッソーリ教育に興味を持ち始めたのは、サスケが3歳を過ぎた頃でした。
モンテッソーリ教育では、2歳半から始めるのがよいとされていますので(近年は赤ちゃんから通うことができます)、少し遅すぎるかもしれないと思いながら、「子どもの家」の扉を叩くことにしました。
まずは、週に1,2回、体験クラスに通うことにしました。そして、家からバスで1時間かかるのを承知で、サスケを3歳4か月で子どもの家に入園させました。
個性を受け入れてくれる環境
サスケは英語で育てていましたので、入園当初は、英語が母語で、日本語がおかしい状態でした。
しかし、コロ助が決めた「子どもの家」の副園長先生は、「来たいという方なら、どなたでもお受けします」とおっしゃって下さいました。
日本語がおかしいサスケも、ありのままの姿で受け入れてくれる環境で、サスケのおかしな日本語を笑う先生やお友達は一人もいませんでした。
入園して間もない頃は、子どもの家のママ友に、「サスケが英語で話しかてくれたけど、速くて分からなかったの~」なんて、言われることもありました。
先生の質が高い
コロ助は保育士でしたが、モンテッソーリ教育の先生方の姿勢には、とてもかなわないといつも感じていました。
- 子どもたちのことをよく見ている
- 子どもを忍耐強く待つ姿勢
- 絶妙なタイミングで子どもに声かけする
子どもたちのことをよく見ている
モンテッソーリの先生たちは、子どもたちの言動をとてもよく観察しています。
例えば、サスケが年少の時のベランダでの出来事。
その日は、午前保育の日で、9:00過ぎに登園し、11:30にはお迎えに行く予定でした。
息子を迎えに行くと、先生から、
と報告を受けました。
と正直耳を疑いました。(片道1時間かけて連れて来たのに、、、。モンテッソーリのお仕事してないの!?)
先生は、
と説明してくれました。
支度をして、教室の中へ入らない息子を叱るのではなく、「どうして入りたくないのか」という理由を見極めていました。さすがだな、と感じました。
1日やらせて貰えて満足したサスケは、次の日からはきちんと支度をして、教室へ入るようになりました。
子どもを待つ姿勢
子どもたちが取り組んでいる時は、先生はじっと見守ります。先生たちの「待つ姿勢」には、本当に頭が下がります。
先生方は、部屋の片隅で、正座をして、背筋を伸ばして、待っています。
ただ待っているではなく、待っている間に、クラスの子どもたちの様子をしっかりと把握しています。
コロ助は、モンテッソーリ教育の資格を取りたいと思ったこともありましたが、コロ助には無理だと断念しました。
元気に「動く」ことが好きなコロ助には、この先生方の「待つ姿勢」を到底真似でないと思ったためです。(モンテッソーリの先生も、もちろん休み時間は、元気に遊びます)
絶妙なタイミングで子どもに声かけする
お子さんが、鼻息を荒くして、何かに集中して取り組んでいる時がありますよね。
その時は、モンテッソーリ教育では、決して話しかけません。区切りがついたところで、声かけをするようにします。
保育士時代、「話しかける」ことが仕事だと思って、子どもたちの様子におかまいなく話しかけていました。
しかし、モンテッソーリ教育を知って、大反省しました。
「鼻息が荒い」のは、「集中し、頭を働かせている証拠」。その学びを大人が決して邪魔してはいけないのです。
モンテッソーリの先生たちは、子どもたちをしっかりと見ているので、話しかけるタイミングも絶妙です。
モンテッソーリ教育の「良いところ」
- 自己肯定感が育つ
- 子どもを尊重する
- 本物を大切にする
自己肯定感が育つ
「教えられる」のではなく、自分で失敗を繰り返しながら、考えて、学んでいきます。
自分で選んだ仕事を、自分でできるようになると、「自己肯定感」(自分はやればできるという認識)が育ちます。
子どもを尊重する
モンテッソーリ教育では、子どもを一人の人格者として尊重しています。
先生方は、子どもたちに対しても、「してらっしゃる」「して下さる」など、敬語を使っています。
また、服装は、女性らしいスカートを履いており、子どもたちのために、身だしなみにも気をつけていました。
「大事にされている」と子どもたちは感じることができます。
本物を大切にする
子どもだからこそ、「本物」を与えることの大切さを説いています。
「切る」お仕事では、本物のバナナやりんごを切っていました。
モンテッソーリ教育の「効果」
サスケは、2年と3か月だけ、モンテッソーリ「こどもの家」に通いました。
現在7歳のサスケですが、コロ助が感じるモンテッソーリ教育の「効果」を以下にご紹介します。
- 扉をきっちりと閉めるなどの「秩序」
- 物を触って手で確認、調べる
- ズバ抜けた観察力
扉をきっちりと閉めるなどの「秩序」
モンテッソーリ教育では、幼い時には、「秩序の敏感期」があると言います。そして、秩序を大切にしてあげることが大切と言います。
家でも、サスケの「秩序」を尊重してあげたところ、「お風呂場の扉はきっちりと閉める」「靴を必ず揃える」「ゴミ箱は3つ重ねておく」などのことが秩序となりました。
コロ助は、カビが生えて欲しくないので、お風呂場の扉は開けておきたいのですが、サスケはピシッと閉めます。
サスケが小さい時から、使っていないゴミ箱を3つ重ねて置いておいたところ、最近1つ必要になったので、使い始めると、サスケが怒り出します。
と言われてしまったり(笑)。
幼い時の習慣が、サスケの「秩序」となって、現れています。これも、モンテッソーリ教育を知り、「秩序」を尊重したからだと思います。
物を触って手で確認、調べる
「手を使うお仕事」がモンテッソーリ教育には多くあります。
手で物の形を触りながら、感じたり、確かめたり、学んできたりしたサスケにとっては、それが習慣となっています。
ふとした瞬間に、その仕草が見られます。置き時計の形を指でなぞったり、エレベーターのボタンの形をなぞったり。
ある時は、「そうか!」と、触りながら、自分なりに何かを比較し、答えを出している時もあります。
ズバ抜けた「観察力」
とにかく、モンテッソーリ教育で育った子は、「観察力」が素晴らしいです。サスケもそうです。
モンテッソーリ教育では、最初は、先生のお手本を見て学びます。
「見て学ぶこと」が多いので、「見る力、観察力」がかなりついています。
例えば、同じ「子どもの家に」通っていたお子さんの話。
アイススケート場で上手に滑る人がいたところ、その人をじっと見て、後ろについて、自分で真似しながら上手く滑られるようになっていました。
「誰かにこうやって滑るんだよ」と教えて貰わなくても、「見て、学ぶ力」がついていますので、自分で「見て、学ぶこと」ができるのです。
サスケも、物事を観察している時に、「これは、ここが違うね」と、よく見比べて、違いを指摘してくれます。
また、見たものを、細部まで覚えていることが多く、「観察力」はお見事です。
(短時間で物事を覚えるのは不得意で、人の倍以上時間はかかります)
親の私たちよりも、大概、サスケの「観察したこと」の方があっています。
いかに私たち大人が、ぼーっと生きているか、、、恥ずかしくなることがあります。